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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)2401号 判決

原告 甲野春子

右法定代理人親権者父 甲野太郎

同母 甲野花子

〈ほか三名〉

右四名訴訟代理人弁護士 中村清

同 荻原富保

同 中村れい子

同 小池貞夫

被告 呉松彦

右訴訟代理人弁護士 高田利広

同 小海正勝

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告甲野春子に対し、金九〇〇〇万円、同甲野太郎、同甲野花子、同乙山松子に対し、各金四〇〇万円及びこれらに対する昭和五四年三月二四日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告ら

原告甲野花子(以下「原告花子」という)と同甲野太郎(以下「原告太郎」という)は、昭和四六年八月一〇日、婚姻した夫婦であり、同甲野春子(以下「原告春子」という)は、原告花子と原告太郎の実子(長女)であり、原告乙山松子(以下「原告松子」という)は、原告花子の母であり、原告春子の祖母である。

2  被告

被告は、東京都府中市《番地省略》において、呉医院を経営し産婦人科を専門にする医師である。

3  原告花子の妊娠から分娩に至るまでの経過

(一) 原告花子は、昭和四九年夏、原告春子を懐妊し、同年八月一七日以降、出産に備えて継続的に被告の診察を受けていた。

(二) 原告花子は、昭和五〇年三月二五日午前〇時三〇分、前夜来陣痛が発来し、分娩をするため、呉医院に入院し、被告の診察を受けた。

原告花子は、同日午前九時、分娩室に移されたが、その直後から分娩が始まった。そのころ、原告花子も胎児も共に異常がなく、児心音も正常であった。

(三) ところが、同日午前九時五〇分、被告は、原告花子の陣痛が微弱であることを理由に、同原告に子宮収縮剤であるオキシトシン(商品名アトニンO、以下単に「オキシトシン」または「アトニンO」という)二・五単位を皮下注射した。

すると、その直後、原告花子は、陣痛が急激に強くなり、児心音に変化が起こり、心拍数が著しく低下し、心音が急激に微弱になるに至り、しかも、このような状態が二〇分以上も継続したため、典型的な胎児切迫仮死の症状となった。

(四) しかし、被告は、胎児の娩出を急ぎ、同日午前一〇時三〇分、アトニンOをさらに五単位原告花子に静脈注射(以下、「静注」という)した。そして、このために児心音が殆んど聴こえなくなったため、被告は、原告花子に吸引分娩術を二回試みたが、胎児を娩出することができず、さらに、鉗子分娩術を行い、同日午前一〇時三八分、原告春子を娩出した。

4  原告春子の出生後の症状

(一) 原告春子は、このようにして出生したものの、重篤な仮死状態であり、長い間産声も上げず、間もなく痙れんを繰り返した。

被告は、昭和五〇年三月二七日、原告春子を都立母子保健院へ転送した。

(二) 原告春子は、都立母子保健院では、交換輸血を受け、抗痙れん剤を投与されるなどの治療を受け、同年五月一二日まで入院し、以降同保健院に通院を繰り返していた。

しかし、原告春子の病状は思わしくなく、生後八か月を経過しても首のすわりが悪かった。

(三) 原告春子は、昭和五一年三月、国立小児病院で診療を受けたが、同病院から、原告春子の病状は出生時の重篤な無酸素症による脳性小児麻痺である旨の診断を受けた。

(四) 原告春子は、現在、高度の四肢麻痺があり、歩行、座位は不可能であるし、また音声機能に障害があり、言葉を発することができないうえ、月に一回位痙れんを起こす。

このため、原告春子は、衣・食・住という日常生活のすべてに亘って他人の全面的な介助を必要とするものであり、国立療養所山形病院に入院し、治療を受けるとともに、機能回復訓練を受けている。

5  被告の過失

(一) 医師としての一般的な注意義務

被告は、医師として人の生命・身体を取り扱うものであるから、専門家として、広く医学知識・技術を修得し、最善の注意を払って診療にあたることが必要であり、患者の病状を的確に診断し、適切な治療を行うべき義務があることはいうまでもない。

(二) 陣痛微弱時において医師のとるべき措置と被告の過失

(1) 産科医は、産婦が分娩時に陣痛微弱であるときには、以下のような治療を行うべきであり、これは確立した原則である。

① まず産婦に休養をとらせ、母体の肉体的精神的な回復を図ること。

② 陣痛微弱の起こる原因を探求すること。

特に、狭骨盤、児頭骨盤不適合(以下「CPD」という)、軟産道の異常など機械的分娩障害の有無を確認すること。

③ 機械的分娩障害のないときに限り、必要に応じて陣痛促進法を講ずること。

④ 場合によっては、鉗子手術、帝王切開など人工遂娩を行うこと。

(2) 微弱陣痛は、一つの症状であり、相異なる多くの原因、疾患によって惹き起こされた結果にすぎないから、原因を確認しないまま陣痛促進を行うことは無益であるばかりか、危険である。

例えば、CPDによって陣痛微弱が起こることがあるが、この場合、胎児の先進部が物理的に骨盤入口に嵌入しないのであるから、積極的な陣痛促進を行うことは、児の娩出に何ら有効でないばかりか、胎児の仮死、母体の子宮破裂など重大な結果を招く危険が高い。CPDの場合は、陣痛促進は禁忌である。

また、軟産道(子宮頸管―膣―会陰)が強靱であるときにも陣痛微弱が起こることがあるが、この場合、産道の強い抵抗に子宮筋の収縮力が打ち勝てないのであるから、陣痛促進を行うことは、産道の強い圧力のほかに子宮筋の強い収縮が加わり、胎児が仮死状態に陥る危険が高まる。軟産道が強靱の場合、陣痛促進は原則としては避けるべきであり、やむをえずこれを行うときには十分慎重に行う必要がある。

(3) したがって、産科医は、産婦に陣痛微弱があるときには、まずその原因を精査する必要があり、その結果陣痛微弱が子宮筋の機能的な収縮不全によると診断される場合にのみ、子宮収縮剤などによる陣痛促進を行うべきである。

(4) ところが、被告は、原告花子について、骨盤を計測し、外結合一八センチメートル、櫛間径二三センチメートルという検査結果を得ているのであるから、絶対的狭骨盤ではないが、CPDが疑われ、また原告花子が高年初産婦であり、軟産道強靱と診断していたのである。

このような場合、被告は、産科医として、まず、内測法、X線計測法などによって骨盤の型、骨盤と児頭との適合の様子、軟産道の性状などを精査し、陣痛微弱の原因を明らかにしたうえ、経膣分娩ができるかどうかを判断しなければならない。

しかし、被告は、これらの検討・判断を怠り、単に陣痛微弱であることを理由にして、陣痛促進を図るため、原告花子にアトニンOを皮下注射した。

(5) 被告が、このように産科医としての注意義務を無視して、アトニンOを投与したことによって、原告春子は、切迫仮死となったものであり、同花子も、子宮の過強収縮が生じ、膣円蓋にまで及ぶ会陰膣壁裂傷の傷害をこうむった。

(三) アトニンOを投与するについて医師の払うべき注意と被告の過失

(1) 産婦が排臨前後にその生理的陣痛が微弱であるため、分娩が停滞した場合、分娩を促進する目的で、陣痛を促進する措置(陣痛促進法)がとられることがある。産科の臨床においては、陣痛促進法としては、子宮収縮剤、特に脳下垂体後葉ホルモンであるオキシトシンが汎く使用されている。

子宮収縮剤は、子宮筋に作用し、子宮の収縮(陣痛)を促し、あるいは既に生じている陣痛の度数や持続時間を増加させるものである。オキシトシンが汎く使用されるのは、オキシトシンを投与することにより生理的陣痛に近い子宮収縮が得られること、オキシトシンには速効性があり、しかも副作用が他の薬剤と比較して少ないことなどの理由があるからである。

(2) しかし、産科医は、産婦にオキシトシンを投与するにあたっては、その副作用に注意しなければならない。

元来、子宮収縮(陣痛)は、分娩進行の主役であるとともに、それ自体胎児にとっては一種のストレスとして作用する。胎児は、娩出に至るまでは、胎盤を通して母体から酸素の供給を受け、生存に不可欠なガスの交換を行っている。ところが、子宮が収縮すると、子宮筋層内の血管が圧迫され、子宮への血流量が減少し、胎児への子宮胎盤血流量も減少するから、ガス交換、胎児血のガス運搬機能が抑制されることになり、胎児が酸素欠乏ないし低酸素状態になる危険が高まる。このような低酸素ないし無酸素状態により血中の酸素分圧が低下すると、反対に炭酸ガス分圧が上昇し、あるいは血中に乳酸が増加、蓄積して、代謝性アシドーシスの状態に陥り、更に右アシドーシスが進行すると呼吸障害、心拍数の変化などが起こることになる(これらの諸症状が胎児仮死と呼ばれる)。ただ、正常な子宮収縮によって起こる胎盤血流の低下は、通常一過性のものにすぎないことなどから、そのまま胎児の低酸素状態、代謝性アシドーシス形成に影響を及ぼすものではない。

ところで、子宮収縮剤が過剰に投与されたときには、母体に強い子宮収縮、痙れん性、強直性収縮を伴う子宮収縮が起こるうえ、収縮の頻度が高くなり、収縮が長時間に亘ることなどにより、持続的な血流障害が起こり、胎児のガス交換が阻害され、胎児を低酸素(無酸素)状態に陥れる。また、子宮収縮剤の過剰投与により、強力かつ頻回のあるいは収縮期間の長い子宮収縮が起こると、産道内にある児頭が過度に圧迫を受け、頭蓋内圧が異常に上昇することによって中枢が刺激され、心機能が減退し、心拍動が緩徐となると全身のうっ血を来たし、胎児血行は減弱し、胎盤におけるガス交換機能は障害され、胎児を低酸素(無酸素)状態に陥れる。そして、これらの低酸素(無酸素)状態が胎児仮死、胎児死亡の原因となる。

他方、母体についてみれば、子宮収縮剤の過剰投与によって、子宮破裂、子宮頸管部裂傷などが起こることがある。

(3) 産婦にオキシトシンを投与することについては、このような危険がうかがわれるものであるから、陣痛微弱の原因がCPDなどによる場合には、オキシトシンを投与してはならない。

また、軟産道強靱、高年初産婦の場合には、オキシトシンの投与を避けるべきである。やむをえず投与する場合には、事前に産婦を診察し、十分慎重に投与する必要がある。

これらの場合には、オキシトシンを投与したときに生ずる過剰な子宮収縮に強靱な産道の圧力が加わることによって、児頭は極めて強い圧力を受けることになり、胎児の低酸素(無酸素)状態はより重篤なものになる。

(4) そして、オキシトシンを投与するときに、さらに注意すべきことは、投与を受ける産婦に対するオキシトシンの効果発現時間、効果持続時間、発現効果が、個体によって著しい差異があることである。

(5) さらに、産科医は、オキシトシンを投与するのが適切であるときにおいても、その投与方法に注意しなければならない。

産科医は、オキシトシンを投与するときは、注入量の調節が容易でかつ正確に行うことができる点滴静注法で行うべきである。筋肉注射、皮下注射は、手技的には簡単であるが、注入量を調節することができず、過剰投与を起こしやすいから、原則としてこれを行うべきではないし、特にこれを陣痛を促進するためではなく、陣痛を誘発するために行うことには問題が多い。

産科医は、オキシトシンを筋注、皮下注、静注する場合、一回の使用量を〇・五単位から一単位までとしなければならず、しかも子宮の収縮の状態をみながら三〇分毎に〇・五単位を増量すべきであり、所望の効果が得られれば直ちに投与を中止しなければならない。

(6) このように、産科医は、産婦にオキシトシンを投与するにあたっては、オキシトシンの適応、用法用量を十分に認識し、母体の状態、特に子宮収縮の頻度、長短、間歇の長短など、胎児の状態、特に児心音の変化などを投与の前後に亘り十分に観察・監視し、十分に慎重に投与しなければならない。

しかも、産科医は、産婦がCPDである場合には、オキシトシンを投与してはならないし、軟産道強靱、高年初産婦である場合には、ナキシトシンを投与するについては特にやむをえないときにかぎり、十分に慎重に投与すべきである。

また、産科医は、オキシトシンを投与した後、産婦や胎児に変化が起これば、適切かつ迅速な診察によってこれを発見し、直ちに産婦や胎児に適切な治療を行い、産婦や胎児の生命・身体の悪化を未然に防止すべきである。

(7) これらのことは、昭和五〇年三月当時有効であったアトニンOの能書においても、「本剤の投与により、ときに母体に過強陣痛を、また胎児に切迫仮死をおこすことがあるので、観察を十分に行い、このような微候があらわれた場合には投与を中止すること」「本剤の投与による副作用の発生を防ぐため子宮の感受性や反応等を十分に観察し、次の点に留意して投与すること(1)急に用量を増やさないこと(2)徐々に投与すること(3)投与の間隔をおくこと」などと記載され、また、「用法・用量」についても「皮下・筋注法:〇・五から一単位を三〇分から六〇分毎に規則的陣痛が発来するまでに皮下または筋肉内投与し、その発来をもって中止する」と記載されていたのであるから、能書でも確認されていた。

(8) 被告は、産科医として、以上のようにオキシトシンを産婦に投与するについては種々の注意を払うべきであるにもかかわらず、以下に詳論するように多々誤った措置を行ったものである。

まず、被告は、原告花子が高年初産婦で軟産道強靱であったうえ、CPDであったのだから、同原告に対してはオキシトシンの使用をしてはならないか、極力避けるべきであったにもかかわらず、同原告の陣痛を強化することのみに目を奪われて、アトニンOが適応するかどうかを検討することなく、安易に同剤を投与し、同原告の陣痛に急激な変化を生じさせ、胎児であった原告春子を切迫仮死に至らせた。

このような被告のアトニンOの投与は、産科医としての義務に著しく違反したものであることは明らかである。

(9) 被告は、やむをえずオキシトシンを産婦に使用する場合であっても、オキシトシンが産婦に与える効果などは、個体によって著しい差異があるのであるから、その個体差を十分に注意しなければならないのに、原告花子に対してそのような注意を払った形跡は全くない。

(10) また、被告は、産婦にオキシトシンを投与するについては静注することが望ましいうえ、皮下注、筋注する場合であっても〇・五単位から一単位を三〇分から一時間の間隔をおいて投与すべきであったにもかかわらず、前述のように昭和五〇年三月二五日午前九時五〇分、初回でいきなり、アトニンO二・五単位を原告花子に皮下注射した。

このような被告の行為は、望ましい静注をせず、しかも使用限度量の二倍以上のアトニンOを投与したものであり、明らかに産科医としてなすべき初歩的な注意義務を怠ったものといわなければならない。

(11) 被告が原告花子にアトニンO二・五単位を投与した直後、胎児の児心音が五―六―五と急激に著しく低下した。そして、その後も、胎児の児心音は、同日午前一〇時一〇分、八―九―七という限界値で、不規則な値を示し、同時二〇分においても、八―八―七という児心音が悪化していることを示していた。これは、被告が原告花子にアトニンOを過剰に投与したことの結果である。

このような場合、被告は、アトニンOを投与した後の原告花子と胎児について十分に観察を行い、その変化に応じ適切な医療措置を講ずべきであったのに、原告花子と胎児について十分な観察を行うこともなく、また児心音が悪化していることの原因を検討することもなく、そのために適切な医療措置を講ずることもしなかった。この結果、胎児であった原告春子の低酸素(無酸素)状態は、いたずらに長びかせられるに至った。

(12) しかも、被告は、胎児の切迫仮死状態が継続している同日午前一〇時三〇分、さらにアトニンO五単位を原告花子に静注した。

被告のこのようなアトニンOの投与は、そもそも胎児の切迫仮死の原因が被告の初回のアトニンOの投与にあったのであるから、原告花子の子宮の収縮を強め、胎児の切迫仮死をさらに増悪させたものである。被告の右投与は、考えられないような大量投与であり、しかも危機的状況にあった胎児にとどめを刺してしまったものである。

被告は、胎児が切迫仮死に陥ったときには、交感神経系に作用する薬物などを投与することによって、原告花子の子宮収縮を抑制して、子宮循環を盛んにし、胎児を仮死状態から回復させるか、胎児の死亡を防ぐために急速分娩が必要なときには、まず子宮収縮を弱め、次いで急速分娩法を実施しなければならなかったのである。

被告は、胎児を救うことと全く逆の措置を行い、胎児である原告春子を重篤な仮死に至らせたものであり、その措置が誤っていたことは明らかである。

(四) 産後において医師の払うべき注意と被告の過失

(1) 産科医は、分娩後の母子の容態を継続的に観察し、産後における母子の異常・異変を未然に防止し、異常・異変があれば適切な医療措置を講ずることによって、母子の生命・身体を保護すべき義務がある。

(2) ところが、原告春子は、鉗子分娩の末、重篤な仮死状態で生まれ、身体の損傷も著しく、生後数時間を経ないで痙れんを起こしていたものである。

このような場合、被告は、まず原告春子について脳の病変を疑い、これに沿った検査、医療措置を行うべきであるし、あるいは自分のところにこれらの処置に適する人的・物的設備を有していないときには、これらを有する病院などを紹介するなど適切な措置を講ずるべきであったのに、単に原告春子を保育器に移しただけであり、二日に亘り何ら手当てをしないままで放置し、その結果、原告春子に脳の障害を拡大させるに至った。

このように、被告は、原告春子に対する事後の適切な措置を請ずることを怠ったものである。

6  損害

(一) 原告春子の損害 金一億三四六九万七八四三円

(1) 治療関係費 金六七二万一七五六円

(イ) 治療費 金九一万三三八〇円

原告春子は、出生後二日目である昭和五〇年三月二七日、被告から、無酸素性脳症による痙れん発作を治療するため都立母子保健院に転送され同年五月一二日まで同保健院に入院し、同年六月一六日から昭和五一年三月中旬まで通院し、抗痙れん剤の投与を受けるなどの治療を受けた。

その後、原告春子は、脳性小児麻痺の治療、機能回復訓練を受けるため、昭和五一年三月二九日から昭和五二年二月末日まで国立小児病院に通院し、同月末日から昭和五三年八月まで都立多摩療育園に通院し、同月二九日以降国立療養所山形病院に入院している。

また、原告春子は、その間、痙れんの発作が起こったとき、緊急の治療を受けるため、あるいは脳波、発達指数などの各種検査及び付随症状の治療を受けるため、東京医科歯科大学医学部付属病院、井手医院、都立府中病院、都立北療育園、医療法人同友会クリニック、府中眼科診療所、医療法人恵仁会武蔵府中病院、山形大学医学部付属病院などにも通院した。

原告春子は、このように治療を受けたため、治療費として、都立母子保健院に金一二万五一〇四円、国立小児病院に金一四万三一〇二円、井手医院に金一二五〇円、東京医科歯科大学に金一万七七五八円、医療法人同友会クリニックに金九六〇〇円、都立北療育園に金一一九一円、都立多摩療育園に金七万一二三七円、都立府中病院に金一九〇〇円、府中眼科診療所に金三四五〇円、国立療養所山形病院に金四九万一四〇〇円、山形大学附属病院に金四万七三八八円をそれぞれ支払った。

(ロ) 入院雑費 金九六万三四〇〇円

原告春子は、右のように脳性小児麻痺の治療を受けるためなどに病院に入院したものであるが、入院の際雑費が必要であり、一日あたり、昭和五四年二月末日までは金五〇〇円、同年三月一日以降は金八〇〇円が相当であった。

そうすると、原告春子は、入院雑費として、都立母子保健院においては金二万三五〇〇円(四七日分)、都立府中病院においては金一五〇〇円(三日分)、国立療養所山形病院においては金九三万八四〇〇円(昭和五四年二月末日まで一八四日間、同年三月一日から昭和五七年一月末日まで一〇五八日間)がそれぞれ必要であった。

(ハ) 付添看護費 金四六四万一六五六円

原告春子は、右のように昭和五〇年六月一六日から昭和五三年八月二八日まで病院で、あるいは自宅で治療、看護を家族ぐるみで受けてきた。

この家族ぐるみの付添看護を評価するについては、労働省発表賃金構造基本統計調査(賃金センサス)における産業計、企業規模計、学歴計女子労働者全年令平均給与額を下廻ることはない。

そうすると、この付添看護費は、昭和五〇年六月一六日から同年一二月三一日までは金七三万二〇六〇円、昭和五一年一月一日から同年一二月三一日までは金一三七万九九〇〇円、昭和五二年一月一日から昭和五三年八月二八日までは金二五二万九六九六円が相当である。

(ニ) 入通院交通費 金二〇万三三二〇円

原告春子は、右のように脳性小児麻痺の治療を受けるためなどに病院などに入通院したものであるが、その際入通院するための交通費として都立母子保健院につき金三万二六八〇円、国立小児病院につき金三万三一二〇円、東京医科歯科大学につき金二六四〇円、医療法人同友会クリニックにつき金三三六〇円、都立北療育園につき金五八八〇円、都立多摩療育園につき金七万九四八〇円、都立府中病院につき金六六〇〇円、府中眼科診療所につき金一五六〇円、国立療養所山形病院につき金三万八〇〇〇円(但し、昭和五三年八月二九日入院時交通費でタクシー代を含む)をそれぞれ必要とした。

(2) 介護費用 金五八六〇万七一八一円

原告春子は、現在、前述したような病状であり、一日二四時間全面的に他人による介護を必要とする。そして、原告春子は、今後少なくとも七〇年間は生存することが予想される。

このような他人によって介護を受けるために支払わなければならない費用(介護費用)は、賃金センサスにおける産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者全年令平均給与額を下廻ることはない。この給与額の昭和五四年度の年額は、金一七一万二三〇〇円、昭和五五年度の年額は、金一八三万四八〇〇円、昭和五六年度の年額は、金一九八万七〇〇〇円(但し、昭和五五年度給与額に昭和五六年度女子平均賃上率八・三パーセントを乗じたもの)である。右額を基準として、年五分の割合による中間利息を新ホフマン方式により控除して現価を求めると金五八六〇万七一八一円となる。

171万2300円×0,9523+183万4800円×(1,8614-0,9523)+198万7000円×(29,6966-1,8614)=5860万7181円

(3) 逸失利益 金三九三六万八九〇六円

原告春子は、脳性小児麻痺にならなければ、高校卒業の一八歳から六七歳までの四九年間は、就職して通常の労働に従事するとともに、家事労働に従事することができたものである。就職して得る収入は、右(2)に主張したとおり金一九八万七〇〇〇円の年収を下廻ることはなく、また家事労働は年間二四万円を下廻ることはない。右合計金二二二万七〇〇〇円について年五分の割合による中間利息を年毎新ホフマン方式により控除して、逸失利益の現価を求めると金三九三六万八九〇六円となる。

(198万7000円+24万円)×17,678=3936万8906円

(4) 慰藉料 金三〇〇〇万円

原告春子は、被告の誤った医療措置により重篤な脳性小児麻痺になり、今後回復する見込みは全くない。原告春子のこの精神的苦痛を金銭をもって慰藉するには、金三〇〇〇万円を下廻ることはない。

(二) 原告太郎、同花子の損害

各金五四〇万一七八五円

(1) 交通費 各金一三万八三一〇円

原告太郎、同花子は、同春子が前に主張したように主として、国立療養所山形病院に入通院したときに親として付添って行く必要があったときなど、交通費としてそれぞれ金一三万八三一〇円を負担した。

(2) 通信費 各金一二万〇九七五円

原告太郎、同花子は、同春子の病状などについて、前述した病院などと交信する必要があり、そのためにそれぞれ金一二万〇九七五円支払った。

(3) 宿泊費 各金一四万二五〇〇円

原告太郎、同花子は、前述したように、主として、同春子が入院している国立療養所山形病院に赴いた際の宿泊費としてそれぞれ現在まで金一四万二五〇〇円を負担した。

(4) 慰藉料 各金五〇〇万円

原告太郎、同花子は、同春子の父母として、同春子が出生直後から被告の誤った医療措置によって重度の脳性小児麻痺となり、今後回復する見込みがないため、生涯これに耐えていかなければならず、その生命が害されたときに比べ優るとも劣らない程度の精神的苦痛をそれぞれこうむった。この苦痛を金銭によって慰藉するには、原告太郎、同花子それぞれについて金五〇〇万円が相当である。

(三) 原告松子の損害 金五〇〇万円

慰藉料 金五〇〇万円

原告松子は、同花子の実母であり、同春子の祖母であるが、同春子の誕生と成長を唯一の楽しみにしていた。しかし、原告松子は、前述したように同春子が重度の脳性小児麻痺となり、今後回復する見込みがないため、その生命が害されたときと比べ優るとも劣らない精神的苦痛を受け、金銭をもってその苦痛を慰藉するためには、金五〇〇万円が相当である。

(四) 弁護士費用

原告らは、被告に対する本件損害賠償請求訴訟を原告代理人らに委任し、損害賠償額の一〇パーセントの報酬の支払を約したが、事案の難易等を勘案して、各原告につき認容金額の一〇パーセントの弁護士費用は、被告の不法行為と相当因果関係ある損害である。

7  結論

よって、原告らは、被告に対し、本件不法行為に基づき、原告春子においては損害金一億三四六九万七八四三円及び弁護士費用の内金九〇〇〇万円、同太郎、同花子においては各損害金五四〇万一七八五円及び各弁護士費用の各内金四〇〇万円、同松子においては損害金五〇〇万円及び弁護士費用の内金四〇〇万円とこれらに対する訴状送達の翌日である昭和五四年三月二四日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求の原因事実に対する認否

1  請求の原因第一項の事実は認める。

2  同第二項の事実は認める。

3(一)  同第三項(一)の事実は認める。

(二) 同項(二)の事実は認める。

(三) 同項(三)の事実中、アトニンO注射直後に「急激に」陣痛が強くなった事実、「児心音に変化が起こり、心拍数が著しく低下し、心音が急激に微弱になるに至り、しかもこのような状態が二〇分以上も継続したため典型的な胎児切迫仮死の症状となった」事実は否認し、その余の事実は認める。

(四) 同項(四)の事実中、「アトニンOの静注のために児心音が殆んど聴こえなくなった」事実は否認し、その余の事実は認める。

4(一)  同第四項(一)の事実中、「昭和五〇年三月二七日、原告春子を都立母子保健院へ転送した」事実は認め、その余の事実は不知。

(二) 同項(二)の事実は不知。

(三) 同項(三)の事実は不知。

(四) 同項(四)の事実は不知。

5(一)  同第五項(一)の事実は認める。

(二)(1) 同項(二)(1)の事実は明らかに争わない。

(2) 同項(二)(2)の事実は明らかに争わない。

(3) 同項(二)(3)の事実は明らかに争わない。

(4) 同項(二)(4)の事実中、原告花子に分娩前からCPDが疑われたこと及び「被告が、陣痛微弱の原因を明らかにしたうえ、経膣分娩ができるかどうかの検討、判断を怠り、単に陣痛微弱であることを理由にして」アトニンOを皮下注射した事実は否認し、その余の事実は明らかに争わない。

(5) 同項(二)(5)の事実は争う。

(三)(1) 同項(三)(1)の事実は明らかに争わない。

(2) 同項(三)(2)の事実は明らかに争わない。

(3) 同項(三)(3)の事実は明らかに争わない。

(4) 同項(三)(4)の事実は明らかに争わない。

(5) 同項(三)(5)の事実は争う。

(6) 同項(三)(6)の事実は明らかに争わない。

(7) 同項(三)(7)の事実は明らかに争わない。

(8) 同項(三)(8)の事実は争う。

(9) 同項(三)(9)の事実は争う。

(10) 同項(三)(10)の事実中、「昭和五〇年三月二五日午前九時五〇分に初めてアトニンO二・五単位を原告花子に皮下注射した」事実は認め、その余の事実は争う。

(11) 同項(三)(11)の事実は争う。

(12) 同項(三)(12)の事実中、「同日午前一〇時三〇分、さらにアトニンO五単位を原告花子に静注した」事実は認め、その余の事実は争う。

(四)(1) 同項(四)(1)の事実は認める。

(2) 同項(四)(2)の事実は争う。

6(一)  同第六項(一)(1)ないし(3)に関する事実は不知、同(4)に関する事実は争う。

(二) 同項(二)(1)ないし(3)に関する事実は不知、同(4)に関する事実中、原告太郎、同花子が、同春子の父母である事実は認め、その余の事実は争う。

(三) 同項(三)の事実中、原告松子が、同花子の実母であり、原告春子の祖母である事実は認め、その余の事実は争う。

(四) 同項(四)に関する事実は不知。

三  被告の主張

1  原告花子の分娩前の妊娠検診

(一) 被告は、原告花子が昭和四九年夏に懐妊した後、同年八月一七日以降翌昭和五〇年三月二五日に原告春子を出産するまで一一回に亘り妊娠検診をしたが、一時胎児が骨盤位であった以外は、母体の全身状態には異常はなく、胎児にも異常はなかった。

(二) 被告は、昭和四九年一一月一五日、原告花子を検診したが、同原告は、身長一五〇・五センチメートル、体重四八キログラム、外計測の結果は、外結合一八センチメートル、第二側径一六センチメートルで、骨盤の前後径は、大体普通と推測され、大転子間三〇センチメートル、棘間二三センチメートルで、骨盤の横径は、普通と推測され、外側第二斜径二三センチメートルで骨盤の第二斜径は、普通と推測されたほか、脊腰部ミカエリス菱形に変形はなかった。

(三) 被告は、昭和五〇年一月一七日、原告花子が、妊娠八か月(出産予定日は同年三月二三日である)で、骨盤位であることを知り、同原告に一〇日間肘膝位を試みさせたが、なお骨盤位であり、同年二月六日にも、一〇日間肘膝位をとらせ、同月一九日、頭位に直った。

(四) 被告は、その後、昭和五〇年三月一八日、原告花子を検診したが、体重五六・五キログラムで肥満ではなく、腹囲八二・四センチメートルで脂肪過多症でも羊水過多症でもなく、外診、触診も明瞭にできた。また原告花子は、子宮底三一・四センチメートルであり、児頭は骨盤上に浮動していないで、骨盤に固定しており、児の大きさはむしろ稍小で正常の状態にあった。

被告は、これらの検診の結果から、原告花子が経膣分娩をすることができる旨診察した。

2  原告花子の分娩の経過と新生児

(一) 原告花子は、昭和五〇年三月二四日午後一〇時、陣痛が発来し、翌二五日午前〇時三〇分、被告の診察を受け、入院した。

(二) 原告花子が、同月二五日午前七時、自然早期破水した後、被告は、同日午前九時、同原告を外診、内診、聴診、触診したが、その結果、児心音が右側、臍窩と右前腸骨棘との中央に聴こえ、児は頭位であり、第二胎向、第一類で正常、児頭は骨盤入口に深く嵌入下降し、子宮頸管の伸展は良く、外子宮口は五センチメートルに開大していることが判明した。被告は、そのほか、原告花子が三二歳の稍高年初産であり、軟産道強靱であることの診察結果を得ていた。

そこで、被告は、原告花子にグリセリン浣腸をして、分娩室に入れた。

(三) 被告は、以上のような診察結果から、原告花子については、経膣分娩は可能であるが難産になるのではないかと予想し、同原告を分娩室に入れた後、同原告の両鼻腔からカテーテル酸素を一分あたり一リットル流し続けるとともに、同原告から離れないで付き添い、同原告の全身状態に注意し、腹部触診、視診によって子宮の収縮具合を観察し、トラウベで頻回に児心音を聴診した。

その後、原告花子は、同日午前九時四〇分、子宮口は殆んど全開大し、児は骨盤の濶部に下降し、矢状縫合は骨盤の第二斜径に一致し、第一、第二廻旋は異常がなく、児心音は一二―一一―一一で正常な状態であった。しかし原告花子は、高年初産であり、軟産道強靱であったため、陣痛微弱となり、機能的な子宮筋の収縮不全となってきた。

そこで、まず、被告は、用手拡大して、児頭を下降しやすく誘導するとともに、ブチルパン皮下注射をして軟産道の潤軟化をはかった。

(四) この時点で、原告花子は、早期破水してからかなり時間が経過していた。早期破水した後長時間経過すると母体に感染を起こさせることにもなり、また早期破水した後長時間微弱陣痛のまま児が胎内に停滞するのは、児頭の圧迫、臍帯の圧迫などにより児の切迫仮死に陥るおそれがあったため、被告は、原告花子について急速遂娩をすることを決めた。

そこで、被告は、同日午前九時五〇分、分娩誘発ではなく、分娩第二期の初期における微弱陣痛に対する陣痛を促進しようとして、原告花子にアトニンO二・五単位を皮下注射し、原告花子の状態、子宮の収縮、胎児の児心音を注意深く観察した。

アトニンOを皮下注射した後、児心音は一時五―六―五の徐脈となったが、同日午前一〇時には、一一―一二―一一と回復した。

(五) しかし、その後、原告花子の子宮収縮は増強し、児の廻旋は良く、順調に骨盤狭部に下降したが、児心音は、八―九―七、八―八―七と悪化し、微弱になったが、その原因は判明しなかった。児は、後頭結節が恥骨結合下に、矢状縫合が骨盤の前後径に一致し、骨盤狭部を通って骨盤出口にさしかかって排臨、発露の状態であったが、これ以上なかなか出なかった。そこで、被告は、児の危機状態を心配し、吸引器、鉗子を消毒し、準備した。

原告花子は、同日午前一〇時二〇分、陣痛発作、間歇が錯乱してきたうえ、分娩の疼痛に対し異常に敏感になった。被告は、原告花子を静め、骨盤底の諸筋の抵抗を緩めるために、チオバール〇・二五グラムを静注した。

被告は、原告花子がこの静脈麻酔で腹筋も弛緩し、娩出力の腹圧が減る一方、児心音が悪くなってきたため、一刻の猶予もおかず、早く急速遂娩しなければならないと考えた。そこで、被告は、同日午前一〇時三〇分、チオバールの投与によって減少した腹圧を補充するため、また一気に吸引、鉗子分娩ができるようにし、微弱陣痛のときによくある分娩第三期の子宮弛緩性出血を予防し、胎盤剥離面からの出血を少なくするために、ブドウ糖二〇パーセント二〇ミリリットルにアトニンO五単位を溶かした溶液を原告花子に静注すると同時に、吸引器で五五センチメートル水銀柱圧で二回吸引したが、滑脱した。このころ、児心音が聴こえるか聴こえないかの状態となり、また、児の第三廻旋は順調に、児頭の矢状縫合は骨盤の出口前後径に一致して、児の後頭結節は恥骨弓にささえられ、児頭は鉗子分娩に適位であったので、被告は、直ちに鉗子分娩術を行い、同日午前一〇時三八分、一気に児を娩出した。

(六) 新生児は、体重二九〇〇グラム、身長四五センチメートル、胸囲三一・八センチメートル、頭囲三五センチメートルで、二センチメートル幅位の干かんぴょうのような臍帯が頸部をくびれる程に堅く三重に巻絡していたうえ、臍動脈の搏動は触れず、重度の仮死であった。新生児は、一分間のアプガールスコア〇点で、第二度仮死であった。

被告は、急いで臍帯を解き、人工蘇生器で約二〇分間酸素五〇〇リットルを使用して人工蘇生術を施すとともに、強心剤ビタカムファ二本、呼吸促進剤テラブチック二本を皮下注射し、新生児を蘇生した。そして、被告は、新生児の仮死が少し長かったので念のために、保育器に収容し、酸素一分間あたり一リットル、温度三七・五度、湿度六〇パーセントを維持し、新生児の容態を観察した。

(七) その後、新生児は、同日午後、体温三六・五度、呼吸数普通、チアノーゼなし、顔色よい、両上肢・両下肢反射あり、モーロー反射あり、鉗子のあたった左眼上外側、右後頭外側部稍腫脹であった。

翌二六日午前、新生児は、体温三六・八度、呼吸普通、胎糞多量排出、排尿ありであり、同日午後には、体温三七度、呼吸普通で、ネラトレでSMミルクを薄めに三〇ミリリットル哺乳、ビスタマイシン〇・二五グラムを皮注された。

翌二七日午前、新生児は、体温三七度であり、ビスタマイシン〇・二五グラムを皮注され、同日午前八時、午前一二時に、それぞれSMミルク三〇ミリリットルを哺乳されたが、同日午後になり、黄疸イクロメーター三と少し黄疸が出現し、四肢の軽い痙れんがあった。そこで、被告は、原告太郎の同意を得たうえ、ホリゾン二ミリリットルを新生児に筋注して、新生児を小児科専門医である都立母子保健院に転医させた。

3  分娩後の原告花子に対する治療

被告は、原告花子が娩出した新生児を蘇生させた二〇分から三〇分後、同原告が第三期胎盤(後産)を娩出するのを介助した。胎盤は正常大であり、卵膜は完全に排除された。

また、原告花子の出血量は、膣円蓋、後膣壁裂創と胎盤剥離娩出後の子宮内からの出血を合わせても、中等量を少し上廻る六〇〇ミリリットルにすぎなかった。

被告は、原告花子に対し、その後、後膣壁をカットグットで、会陰の表面を絹絲でそれぞれ縫合し、消炎鎮痛剤イングシン五〇ミリグラム坐薬一個を肛門内に挿入し、子宮収縮剤ウテロメトリン一日あたり三錠、ポンタール二五〇ミリグラム、鎮痛剤一日あたり三錠をそれぞれ四日間投与し、産後に鎮痛のためレジタン二錠を服用させた。

4  新生児の仮死、脳性麻痺の原因

(一) 新生児は、前述したように、出産時、臍帯が頸部に堅く三重に巻絡し、母体からの血行が障害されていた。新生児は、産道を通過下降する度にだんだん臍帯で絞められ、前述したように午前一〇時以降児心音が悪くなったのはこのためであると思われる。

このように、新生児は、臍帯巻絡が強かったものであり、この臍帯の圧迫による血行障害により仮死の状態に至ったものである。

(二) また、原告花子は、軟産道が強靱であり、新生児の児頭も稍大であり、これらが原因となって新生児の仮死に至ったことも考えられる。

(三) 更に、仮に、原告春子に、原告ら主張の脳性麻痺の諸症状があるとしても、脳性麻痺の原因は脳発育の途中で脳に障害を与える多くの因子が原因となるものであって、右因子を大別すると、出生前因子としては、遺伝子性のものと胎内性障害(母体の循環障害、中毒感染、代謝障害、栄養障害、放射線等)があり、周産期障害によるものとしては、低酸素症(臍帯巻絡が原因となることもある)、脳血管障害、重症黄疸、未熟児、周産期の脳障害等があり、出生後障害によるものとしては、脳感染、脳外傷等がある。

従って、原告春子の脳性麻痺は、痺帯巻絡による血行障害と先天的因子が競合したものと考えられる。

(四) 被告は、前述したように、母児の危機を救おうとして、急速分娩その他適切な治療を行ったものであり、これらが新生児の仮死、脳性麻痺の原因となったとは考えられない。

5  被告のアトニンO使用の妥当性

(一) 被告が原告花子に投与、使用したアトニンOは、被告が昭和四九年一〇月購入したものであり、添付されていた昭和四九年六月改訂の能書によると、アトニンOは筋注、静注に適し、一〇単位の範囲内にとある。また、昭和五〇年三月当時、開業産科医においては、アトニンOを筋注、静注で一〇単位の範囲内で使用していた。

被告は、前述したように、原告花子に、まずアトニンO二・五単位を皮下注し、その後四〇分以上間隔をおいてアトニンO五単位を静注したものであり、合計一〇単位を越えておらず、その投与法、投与量には何ら誤ったところはない。

なお、昭和四九年六月当時の能書が、昭和五〇年三月当時、改訂されていたとしても、改訂されたものに直ちに交換されるものではなく、改訂が開業医に知れわたるには少なくとも一年以上を要するのが実情である。

(二) 原告花子は、高年初産であり、軟産道強靱であったうえ、自然早期破水していた。しかも、原告花子は、三月二五日午前九時四〇分、子宮口が殆んど全開大、児頭が骨盤濶部に入っていたが、陣痛が微弱であった。

このような場合、原告花子と胎児に細菌感染、羊水漏出、臍帯圧迫、胎児の圧迫による、切迫仮死などの危険が生ずることがあるため、積極的に分娩促進を行うことが必要であり、また被告もそのように考えた。この積極的な分娩促進法としては、薬物による陣痛促進法、器械的刺激による誘発法等があり、さらに必要があるときには、帝王切開をすることも考えられる。

そこで、被告は、前述したように、同日午前九時五〇分、原告花子にアトニンO二・五単位を皮下注したものであるが、これは当時の同原告の状況からみて適切な医療措置であった。

(三) 被告が、前述したように、原告花子にアトニンO二・五単位を皮下注した後、児心音は、一時、五―六―五と徐脈になったが、同日午前一〇時には、一一―一二―一一と回復し、子宮収縮は増強して胎児の廻旋は良く順調に骨盤狭部に下降して来た。ところが、その後、児心音は、八―九―七、八―八―七と悪化し、微弱となり、また、胎児は、骨盤狭部を通って骨盤出口にさしかかって排臨、発露の状態となったが、これよりなかなか出て来なかった。被告は、原告花子の精神錯乱状態を静めるため、また骨盤底の諸筋の抵抗を緩めるためにチオバールを静注したが、そのため原告花子の腹圧が減少し娩出力はますます低下した。

このような場合、胎児は、危機的な状態にあることが推測され、一刻も早く急速遂娩を行わなければならないと考えられ、被告も、そのように考えた。

そこで、被告は、原告の腹圧を回復し、微弱陣痛によくある分娩第三期の子宮弛緩性出血を予防するなどのために、原告花子に対し、アトニンO五単位を静注(原告花子の錯乱のため点滴はできなかった)するとともに、吸引分娩術、鉗子分娩術を行い、同日午前一〇時三八分、児を娩出した。

このように、被告がアトニンOを原告花子に投与したのは、適切な場合に使用されたものであるし、この投与により同原告の会陰後膣壁裂創があったにもかかわらず、分娩の過程における総出血量は中等量の六〇〇ミリリットルにとどめることができたのである。

また、被告は、アトニンO五単位を静注すると同時に吸引分娩術、鉗子分娩術を行い、数分を経ないで胎児を娩出したものであるから、このアトニンOが胎児に影響したとは考えられない。

6  結論

以上のように、被告は、原告花子について、その分娩の前後に亘り、的確に症状を把握し、適切な医療措置を行うとともに、新生児や分娩後の同原告の治療についても、考えられる適切な医療措置を行ったものであるから、何ら誤りのなかったことは明らかである。

四  被告の主張に対する認否

1(一)  被告の主張第一項(一)の事実は明らかに争わない。

(二) 同項(二)の事実は明らかに争わない。

(三) 同項(三)の事実は認める。

(四) 同項(四)の事実中、被告が原告花子が経膣分娩をすることができる旨診察した事実は否認し、その余の事実は明らかに争わない。

2(一)  同第二項(一)の事実は認める。

(二) 同項(二)の事実中、原告花子が同月二五日午前七時自然早期破水した事実、同日午前九時に原告花子の外子宮口は五センチメートルに開大していた事実、被告は原告花子が三二歳の稍高年初産であり、軟産道強靱であることの診察結果を得ていた事実及び被告は原告花子にグリセリン浣腸をして分娩室に入れた事実は認め、その余の事実は明らかに争わない。

(三) 同項(三)の事実中、被告は原告花子については経膣分娩は可能であるが、難産になるのではないかと予想した事実及び原告花子が同日午前九時四〇分、陣痛微弱となり、機能的な子宮筋の収縮不全となってきた事実は否認し、被告が原告花子を分娩室に入れた後、同原告の両鼻腔からカテーテル酸素を一分あたり一リットル流し続けた事実及び被告が同原告に対し、ブチルパン皮下注射をして軟産道の潤軟化をはかった事実は認め、その余の事実は明らかに争わない。

(四) 同項(四)の事実中、被告が同日午前九時五〇分、分娩誘発ではなく陣痛促進のために、原告花子にアトニンO二・五単位を皮下注射し、その後児心音は一時五―六―五の徐脈となったが、同日午前一〇時には、一一―一二―一一と回復した事実は認め、被告が原告花子の状態、子宮の収縮、胎児の児心音を注意深く観察した事実は否認し、その余の事実は明らかに争わない。

(五) 同項(五)の事実中、児心音が八―九―七、八―八―七と悪化した事実、原告花子は同日午前一〇時二〇分、陣痛発作、間歇が錯乱してきた事実、被告が原告花子に対し、チオバール〇・二五グラムを静注し、原告花子の腹圧が減った事実、被告が、同日午前一〇時三〇分、ブドウ糖二〇パーセント二〇ミリリットル+アトニンO五単位を原告花子に静注すると同時に、吸引器で五五センチメートル水銀柱圧で二回吸引したが滑脱し、そのころ児心音が聴こえるか聴こえないかの状態となった事実及び被告が原告花子に対し鉗子分娩術を行い、同日午前一〇時三八分、一気に児を娩出した事実は認め、児心音が悪化した原因が判明しなかった事実は争い、その余の事実は明らかに争わない。

(六) 同項(六)の事実中、新生児は体重二九〇〇グラム、身長四五センチメートル、胸囲三一・八センチメートル、頭囲三五センチメートルであり、一分間のアプガールスコア〇点で、第二度仮死であった事実、被告は新生児に対し、人工蘇生器で約二〇分間酸素五〇〇リットルを使用して人工蘇生術を施し、新生児を蘇生した事実及び被告は新生児を保育器に収容し、酸素一分間あたり一リットル、温度三七・五度、湿度六〇パーセントを維持し、その容態を観察した事実は認め、新生児は二センチメートル幅位の干かんぴょうのような臍帯が頸部をくびれる程に堅く三重に巻絡していた事実及び被告が右臍帯を急いで解いた事実は否認し、その余の事実は明らかに争わない。

(七) 同項(七)の事実中、被告が「原告太郎の同意を得たうえで」、新生児を「小児科専門医である」都立母子保健院に転医させた事実は明らかに争わず、その余の事実は認める。

3  同第三項の事実は明らかに争わない。

4(一)  同第四項(一)の事実は否認する。

(二) 同項(二)の事実は争う。

(三) 同項(三)の事実は争う。

(四) 同項(四)の事実は争う。

5(一)  同第五項(一)の事実中、被告は原告花子にアトニンO二・五単位を皮下注し、その後アトニンO五単位を静注したものであり、合計一〇単位を越えていない事実は認めるが、その余の事実は争う。

(二) 同項(二)の事実中、原告花子は高年初産であり、軟産道強靱であったうえ、自然早期破水していた事実及び被告は三月二五日午前九時五〇分、原告花子にアトニンO二・五単位を皮下注した事実は認め、原告花子が同日午前九時四〇分、子宮口が殆んど全開大、児頭が骨盤濶部へ入っていた事実は明らかに争わないが、その際陣痛が微弱であった事実は否認し、その余の事実は争う。

(三) 同項(三)の事実中、被告が原告花子にアトニンO二・五単位を皮下注した後、児心音が一時五―六―五と徐脈になったが、同日午前一〇時には、一一―一二―一一と回復した事実、その後、児心音は、八―九―七、八―八―七と悪化した事実、被告は原告花子に対し、チオバールを静注したが、原告花子の腹圧が減少した事実及び被告は原告花子に対し、その後アトニンO五単位を静注し、吸引分娩術、鉗子分娩術を行い、同日午前一〇時三八分、児を娩出した事実は認め、その余の事実は争う。

6  同第六項の事実は争う。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求の原因1(原告ら)及び同2(被告)の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  原告花子の妊娠から分娩までの経過及び原告春子の現在に至るまでの症状

1  原告花子の妊娠から分娩前日までの経過に関する事実は、以下のとおりであり、右事実は原告らが明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

(一)  原告花子は、昭和四九年夏、原告春子を懐妊し、同年八月一七日以降、翌昭和五〇年三月二五日に同人を分娩するまで、それに備えて継続的に一一回に亘り被告の妊娠検診を受けていたが、一時胎児(原告春子)が骨盤位であった以外は、母体の全身状態には異常はなく、胎児にも異常はなかった。

(二)  被告は、昭和四九年一一月一五日、原告花子を検診したが、同原告は身長一五〇・五センチメートル、体重四八キログラム、外計測の結果は外結合一八センチメートル、第二側径一六センチメートルで、骨盤の前後径は大体普通と推測され、大転子間三〇センチメートル、棘間二三センチメートルで骨盤の横径も普通と推測され、外側第二斜径二三センチメートルで骨盤の第二斜径も普通と推測されたほか、脊腰部ミカエリス菱形の変形もなかった。

(三)  そして、昭和五〇年一月一七日、原告花子が妊娠八か月(出産予定日は同年三月二三日である)で骨盤位であることがわかり、被告は、原告花子に一〇日間肘膝位を試みさせたが、なお骨盤位であり、さらに同年二月六日にも以後一〇日間肘膝位をとらせ、同月一九日に頭位に直った。

(四)  また、同年三月一八日に被告が原告花子を検診した際は原告花子は、体重五六・五キログラムで肥満ではなく、腹囲八二・四センチメートルで脂肪過多症でも羊水過多症でもなく、外診・触診も明瞭にでき、子宮底三一・四センチメートルで、児頭は骨盤上に浮動しておらずに骨盤に固定しており、児の大きさはむしろ稍小で正常の状態にあった。

2  次に、原告花子の分娩の経過について検討する。《証拠省略》並びに原告が明らかに争わないから自白したとみなされる事実に当事者間に争いのない事実を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  原告花子は、昭和五〇年三月二四日午後一〇時、陣痛が発来し、翌二五日午前〇時三〇分、被告の診察を受け、分娩をするため、呉医院に入院した。

(二)  そして原告花子が、同日午前七時ころ、自然早期破水した後、被告は、同日午前九時、同原告を外診、内診、聴診及び触診した結果、児心音が右側、臍窩と右前腸骨棘との中央に聴こえ、児は頭位であり、第二胎向、第一類で正常、児頭は骨盤入口に深く嵌入下降し、子宮頸管の伸展は良く、外子宮口は五センチメートルに開大していることが判明し、そのほか同原告が三二歳の稍高年初産であり、軟産道強靱であることの診察結果を得ていた。そこで、被告は、同原告にグリセリン浣腸をして、分娩室に入れたが、その直後から分娩が始まり、そのころは、同原告も胎児も共に異常はなく、児心音も正常であった。

(三)  そして、被告は以上のような診察結果から、原告花子の経膣分娩は可能であるが、難産になるのではないかと予想し、同日午前九時二〇分、同原告の両鼻腔からカテーテル酸素を一分あたり一リットル流し続けるとともに、同原告から離れないで付き添い、同原告の全身状態に注意し、腹部触診、視診によって子宮の収縮具合を観察し、トラウベで頻回に児心音を聴診した。

(四)  その後原告花子は、同日午前九時四〇分、子宮口は殆んど全開大し、胎児は骨盤の濶部に下降し、矢状縫合は骨盤の第二斜径に一致し、第一、第二廻旋は異常がなく、児心音は一二―一一―一一で正常であった。しかし、同原告は陣痛微弱で、機能的な子宮筋の収縮不全となってきたため、被告は、子宮口を用手拡大して、児頭を下降しやすく誘導するとともに、ブチルパン皮下注射をして軟産道の潤軟化をはかった。

(五)  この時点で、原告花子は、早期破水してからかなり時間が経過しており、それは母体に感染を起こさせることにもなり、また、早期破水した後長時間微弱陣痛のまま児が胎内に停滞するのは、児頭の圧迫、臍帯の圧迫などにより児が切迫仮死に陥るおそれがあったため、被告は、同原告について急速遂娩をすることに決めた。

(六)  そこで、被告は、同日午前九時五〇分、分娩誘発ではなく、分娩第二期の初期における微弱陣痛に対する陣痛を促進しようとして、原告花子にアトニンO二・五単位を皮下注射し、同原告の状態、子宮の収縮、胎児の児心音を注意深く観察した。すると、児心音は一時五―六―五の徐脈となったが、同日午前一〇時には、一一―一二―一一と回復した。

(七)  その後、原告花子の子宮収縮は増強し、児の廻旋は良く、順調に骨盤狭部に下降したが、児心音は、同日午前一〇時一〇分に八―九―七、同一〇時二〇分に八―八―七と悪化し微弱になった。また、児は、後頭結節が恥骨結合下に、矢状縫合が骨盤の前後径に一致し、骨盤狭部を通って骨盤出口にさしかかって排臨、発露の状態であったが、それ以上なかなか出なかった。そこで、被告は、吸引器、鉗子を消毒して準備をしたところ、原告花子の陣痛発作、間歇が錯乱したうえ、分娩の疼痛に対し異常に敏感になったため、同原告を静め、骨盤底の諸筋の抵抗を緩めるため、チオバール〇・二五グラムを静脈注射した。

(八)  そして、被告は、原告花子が右静脈麻酔で、腹筋も弛緩し、娩出力の腹圧が減る一方、児心音が悪くなったため、一刻の猶予もおかず、早く急速遂娩しなければならないと考え、同日午前一〇時三〇分、チオバールの投与によって減少した腹圧を補充するため、また一気に吸引、鉗子分娩ができるようにし、微弱陣痛のときによくある分娩第三期の子宮弛緩性出血を予防し、胎盤剥離面からの出血を少なくするために、ブドウ糖二〇パーセント二〇ミリリットルにアトニンO五単位を溶かした溶液を同原告に静脈注射すると同時に、吸引器で五五センチメートル水銀柱圧で二回吸引したが、滑脱して胎児を娩出することができなかった。このころ、児心音が聴こえるか聴こえないかの状態となり、また、児の第三廻旋は順調に、児頭の矢状縫合は骨盤の出口前後径に一致して、児の後頭結節は恥骨弓にささえられ、児頭は鉗子分娩に適位であったので、被告は、直ちに鉗子分娩術を行い、同日午前一〇時三八分、一気に児を娩出した。

3  また、次に、分娩後の被告の措置とその際の原告春子及び同花子の症状については、《証拠省略》に当事者間に争いのない事実を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  新生児(原告春子)は、体重二九〇〇グラム、身長四五センチメートル、胸囲三一・八センチメートル、頭囲三五センチメートルで、二センチメートル幅位の干かんぴょうのような臍帯が、頸部をくびれる程に堅く三重に巻絡していたうえ、臍動脈の博動は触れず、一分間のアブガールスコア〇点で、第二度仮死の状態であった。そこで、被告は、同原告を人工蘇生器で約二〇分間酸素五〇〇リットルを使用して人工蘇生術を施すとともに、強心剤ビタカムファ二本、呼吸促進剤テラプチック二本を皮下注射して蘇生した。そして、被告は、原告春子を保育器に収容し、酸素一分間あたり一リットル、温度三七・五度、湿度六〇パーセントを維持し、容態を観察した。

(二)  原告春子は、昭和五〇年三月二五日午後一時ころ、初回の痙れんを起こし、手足をピクピクと震わすようにし、これが一時間に一回ぐらいの割合で起こったが、その日の夕方には右痙れんはやや減少した。また、同日午後の原告春子の体温は三六・五度、呼吸数普通、チアノーゼなし、顔色はよい、両上肢・両下肢反射あり、モーロー反射あり、鉗子のあたった左眼上外側と右後頭外側部は稍腫脹であった。

(三)  原告春子は、翌三月二六日午前、痙れんが依然として続いていたが、体温三六・八度、呼吸普通、胎糞多量排出、排尿ありで、同日午後には、体温三七度、呼吸普通で、ネラトレでSMミルクを薄めに三〇ミリリットル哺乳、ビスタマイシン〇・二五グラムを皮下注射された。

(四)  翌三月二七日午前、原告春子は依然として四肢の痙れんが続き、体温三七度で、ビスタマイシン〇・二五グラムを皮下注射され、同日午前八時、同一二時にそれぞれSMミルク三〇ミリリットルを哺乳されたが、午後になり、黄疸イクロメーター三と少し黄疸が出現したので被告は、同原告にホリゾン二ミリリットルを筋肉注射したうえ、小児科専門医である都立母子保健院に転医させた。

(五)  なお、被告は、原告花子に対しては、同春子を蘇生させた二〇分から三〇分後、第三期胎盤(後産)を娩出するのを介助したが、胎盤は正常大であり、卵膜は完全に排除された。また、原告花子は、膣円蓋に及ぶ会陰壁裂創の傷害を負っていたが、同原告の出血量は約六〇〇ミリリットルで中等量に過ぎなかった。そして、被告は、同原告に対し、その後、後膣壁をカットグットで、会陰の表面を絹絲でそれぞれ縫合し、消炎鎮痛剤イングシン五〇ミリグラム坐薬一個を肛門内に挿入し、子宮収縮剤ウテロメトリン一日あたり三錠、ポンタール二五〇ミリグラム、鎮痛剤一日あたり三錠をそれぞれ四日間投与し、また、産後に鎮痛のためレジタン二錠を服用させた。

4  そして、原告春子のその後から現在に至るまでの症状については、《証拠省略》を総合すれば、以下の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告春子は、都立母子保健院では、抗痙れん剤、副腎皮質ホルモン等の投与を受け、交換輸血を受けるなどの治療を受け、昭和五〇年五月一二日まで入院し、以降同保健院に通院していたが、昭和五一年三月、国立小児病院で診療を受けたところ、無酸素症による脳性小児麻痺である旨の診断を受けた。

(二)  そして、原告春子は、その後、都立多摩療育園、国立療養所山形病院等で通院あるいは入院して治療及び機能回復訓練などを受けていたが、昭和五四年二月以降病状が悪化し、現在は寝たきりの状態で、両親の顔もわからないなどすべてに対し反応がなく、いわゆる植物人間となり、前記山形病院において入院加療中である。

三  被告の過失について

1  次に、被告の過失について判断するに、請求の原因5(被告の過失)の(一)(医師としての一般的な注意義務)の事実は当事者間に争いがない。

2(一)  そこで、まず、陣痛微弱時において、医師である被告がとった措置として、アトニンOを投与したこと自体の是非について判断する。

請求の原因5の(二)(陣痛微弱時において医師のとるべき措置と被告の過失)のうち、(1)ないし(3)の事実すなわち、

「産科医は、産婦が分娩時に陣痛微弱であるときには、以下のような治療を行うべきであり、これは確立した原則である。

① まず産婦に休養をとらせ、母体の肉体的精神的な回復を図ること。

② 陣痛微弱の起こる原因を探求すること。

特に狭骨盤、CPD軟産道の異常など機械的分娩障害の有無を確認すること。

③ 機械的分娩障害のないときに限り、必要に応じて陣痛促進法を講ずること。

④ 場合によっては、鉗子手術、帝王切開など人工遂娩を行うこと。

そして、微弱陣痛は、一つの症状であり、相異なる多くの原告、疾患によって惹き起こされた結果にすぎないから、原因を確認しないまま陣痛促進を行うことは無益であるばかりか、危険である。

例えば、CPDによって陣痛微弱が起こることがあるが、この場合、胎児の先進部が物理的に骨盤入口に嵌入しないのであるから、積極的な陣痛促進を行うことは、児の娩出に何ら有効でないばかりか、胎児の仮死、母体の子宮破裂など重大な結果を招く危険が高い。CPDの場合は、陣痛促進は禁忌である。

また、軟産道(子宮頸管―膣―会陰)が強靱であるときにも陣痛微弱が起こることがあるが、この場合、産道の強い抵抗に子宮筋の収縮力が打ち勝てないのであるから、陣痛促進を行うことは、産道の強い圧力のほかに子宮筋の強い収縮力が加わり、胎児が仮死状態に陥る危険が高まる。軟産道が強靱の場合、陣痛促進は原則としては避けるべきであり、やむをえずこれを行うときには十分慎重に行う必要がある。

したがって、産科医は、産婦に陣痛微弱があるときには、まずその原因を精査する必要があり、その結果陣痛微弱が子宮筋の機能的な収縮不全によると診断される場合にのみ、子宮収縮剤などによる陣痛促進を行うべきである。」

との事実は、被告が明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

(二)  また、被告は、昭和四九年一一月一五日に原告花子の骨盤を計測して、外結合一八センチメートル、棘間二三センチメートル等の検査結果を得、骨盤の前後径も横径も普通と推測され、また、高年初産婦で軟産道強靱と診断していた事実は、原告が明らかに争わないから、これを自白したものとみなされ、右事実と《証拠省略》を総合すれば、被告が昭和五〇年三月一八日に原告花子を検診した際に、児の大きさはむしろ稍小で正常の状態にあったので、被告は、同原告の分娩は難産になるのではないかと予想はしたが、経膣分娩は可能であると判断していたことが認められるのであり、この経膣分娩が実際にも可能であったという事実は、前記のとおり同原告が結局鉗子分娩によって原告春子を娩出し、娩出時の同原告の頭囲は標準よりやや大きかったが、体重の点ではむしろ標準を下回るものであったことからも明らかである。従って、原告花子が、アトニンOの禁忌とされる明白なCPDであったとは認められず、また同原告は軟産道強靱と診断されていたが、前記のとおり分娩前に早期破水していたのであって、そのまま長時間児が胎内に停滞するのは危険であったのであるから、被告が、同原告の微弱陣痛に対し、陣痛を促進しようとして、アトニンOを皮下注射したことは、アトニンO使用の許容範囲を逸脱した不適当な投薬であったと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(三)  そうだとすると、被告は、単に原告花子が陣痛微弱であるということのみを理由としてアトニンOを投与したのではなく、経膣分娩が可能であるかどうか等のアトニンO使用について考慮すべき事項を検討し、かつ、早期破水による母子の危険を防止するために、陣痛を促進する必要があると判断してアトニンOを皮下注射したのであり、被告の右判断に誤りがあったとはいえないから、被告がアトニンOを投与したこと自体については、原告花子の陣痛微弱に対し医師のとるべき措置として特に不当なものとは認められず、この点で被告に過失を認めることはできない。

3(一)  そして、第二に、被告がアトニンOを投与した方法、投与量、投与時期等の点について判断するに、請求の原因5の(三)(アトニンOを投与するについて医師の払うべき注意と被告の過失)のうち、(1)ないし(4)の事実、すなわち、「一般に、産婦が排臨前後にその生理的陣痛が微弱であるため、分娩が停滞した場合、分娩を促進する目的で、陣痛を促進する措置(陣痛促進法)がとられることがある。産科の臨床においては、陣痛促進法としては、子宮収縮剤、特に脳下垂体後葉ホルモンであるオキシトシンが汎く使用されており、子宮収縮剤は、子宮筋に作用し、子宮の収縮(陣痛)を促し、あるいは既に生じている陣痛の度数や持続時間を増加させるものである。オキシトシンが汎く使用されるのは、オキシトシンを投与することにより生理的陣痛に近い子宮収縮が得られること、オキシトシンには速効性があり、しかも副作用が他の薬剤と比較して少ないことなどの理由があるからである。

しかし、産科医は、産婦にオキシトシンを投与するにあたっては、その副作用に注意しなければならない。

元来、子宮収縮(陣痛)は、分娩進行の主役であるとともに、それ自体胎児にとっては一種のストレスとして作用する。胎児は、娩出に至るまでは、胎盤を通して母体から酸素の供給を受け、生存に不可欠なガスの交換を行っている。ところが、子宮が収縮すると、子宮筋層内の血管が圧迫され、子宮への血流量が減少し、胎児への子宮胎盤血流量も減少するから、ガス交換、胎児血のガス運搬機能が抑制されることになり、胎児が酸素欠乏ないし低酸素状態になる危険が高まる。このような低酸素ないし無酸素状態により血中の酸素分圧が低下すると反対に炭酸ガス分圧が上昇し、あるいは血中に乳酸が増加蓄積して代謝性アシドーシスの状態に陥り、更に右アシドーシスが進行すると呼吸障害、心拍数の変化などが起こることになる(これらの諸症状が胎児仮死と呼ばれる)。ただ、正常な子宮収縮によって起こる胎盤血流の低下は、通常一過性のものにすぎないことなどから、そのまま胎児の低酸素状態、代謝性アシドーシス形成に影響を及ぼすものではない。

ところで、子宮収縮剤が過剰に投与されたときには、母体に強い子宮収縮、痙れん性、強直性収縮を伴う子宮収縮が起こるうえ、収縮の頻度が高くなり、収縮が長時間に亘ることなどにより、持続的な血流障害が起こり、胎児のガス交換が阻害され、胎児を低酸素(無酸素)状態に陥れる。また、子宮収縮剤の過剰投与により、強力かつ頻回のあるいは収縮期間の長い子宮収縮が起こると産道内にある児頭が過度に圧迫を受け、頭蓋内圧が異常に上昇することによって中枢が刺激され、心機能が減退し、心拍動が緩徐となると全身にうっ血を来たし胎児血行は減弱し、胎盤におけるガス交換機能は障害され、胎児を低酸素(無酸素)状態に陥れる。そして、これらの低酸素(無酸素)状態が胎児仮死、胎児死亡の原因となる。

他方、母体についてみれば、子宮収縮剤の過剰投与によって、子宮破裂、子宮頸管部裂傷などが起こることがある。

産婦にオキシトシンを投与することについては、このような危険がうかがわれるものであるから、陣痛微弱の原因がCPDなどによる場合には、オキシトシンを投与してはならない。

また、軟産道強靱、高年初産婦の場合には、オキシトシンの投与を避けるべきである。やむをえず投与する場合には、事前に産婦を診察し、十分慎重に投与する必要がある。

これらの場合には、オキシトシンを投与したときに生ずる過剰な子宮収縮に強靱な産道の圧力が加わることによって、児頭は極めて強い圧力を受けることになり、胎児の低酸素(無酸素)状態はより重篤なものになる。

そして、オキシトシンを投与するときに、さらに注意すべきことは、投与を受ける産婦に対するオキシトシンの効果発現時間、効果持続時間、発現効果が、個体によって著しい差異があることである。」

との事実は、被告が明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

(二)  そして、《証拠省略》によれば、オキシトシンの投与方法については、オキシトシンの筋注法ないし皮下注法は、非常に簡便な方法ではあるが、効果発現までにやや時間がかかるとともに、一旦注射をして体内に入れると調節がきかなくなる欠点があり、また静注法は、効果が直ちに発現するが、やはり調節がきかずに過剰投与に陥る危険性があり、いずれも現在では勧められない投与方法であって、個人差の多いオキシトシンの効果発現を調節するためには、陣痛促進、誘発法の区別なく、いずれも点滴静注法によるべきであるといえること、また、投与量についても、五〇〇ミリリットルのブドウ糖や生理食塩水に三単位ないし五単位のオキシトシンを溶かして、一分間に三ミリユニットから多くても二〇ミリユニット程度(二、三〇滴程度)の速度で落としていくのが妥当であるといえることが認められる。

そして、《証拠省略》によれば、昭和四九年八月当時、日本母性保護医協会(以下「日母」という)は、オキシトシンの使用法について、分割皮下注ないし筋注法は、短時間で分娩が終了すると予想される場合の陣痛促進法としてのみ使用すべきで、陣痛誘発法としては望ましくないとし、その場合の投与量についても〇・三単位ずつを三〇分毎に投与するよう警告を発していることが認められる。

(三)  ところで、《証拠省略》によれば、昭和五〇年三月当時有効であったアトニンOの能書においては、その用法用量に関し、「分娩誘発または微弱陣痛に対し、点滴静注法では、五から一〇単位を五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルに混和し、点滴速度を毎分一〇滴程度から開始し、陣痛発来状況などを観察しながら漸次加速(一分間に五滴位)する。なお、点滴最高速度は毎分四〇から五〇滴をこえないようにする。」また、「皮下・筋注法では、〇・五から一単位を三〇分から六〇分毎に規則的陣痛が発来するまでに皮下または筋肉内投与し、その発来をもって中止する。」との記載があることが認められる。

しかし、《証拠省略》によれば、昭和四九年六月当時のアトニンOの能書においては、その用法用量に関し、「一ないし一〇単位を皮下または筋肉内に注射する」旨の記載があり、被告は、昭和五〇年三月当時、右能書を改訂した新しい能書を見てはいなかったことが認められる。

また、前記の昭和五〇年三月当時有効の能書の記載からすれば、アトニンOの投与方法として分娩誘発ないし微弱陣痛に対し、その当時、いまだ点滴静注法のみならず皮下・筋注法も勧められていたと解することができ、さらに、《証拠省略》によれば、オキシトシンは歴史的には筋注法、皮下注法によって使用され始めた薬であって、この方法に対しては、かなり以前から警告を発するものもあったが、昭和五〇年当時、いまだ学会及び日母の指導は行き届いておらず、一般開業医においては、皮下注、筋注法が普通に用いられていたことが認められる。また、投与量については、当時の一般開業医にあっては、初回に二・五ないし三単位投与するなどという例も珍しくなかったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(四)  そうすると、被告が原告花子に対し、昭和五〇年三月二五日午前九時五〇分、初回にいきなりアトニンO二・五単位を皮下注射した事実は当事者間に争いがないが、右事実から認められる被告の行為は、当時の一般開業医において、通常用いられていた投与法、投与量による治療行為であって、何ら医師としての注意義務に欠けるところはなく、従って、この点につき、被告に過失を認めることはできない。

(五)  そして、被告が原告花子に対し、右のとおりアトニンO二・五単位を投与した後、胎児の児心音が一時五―六―五の徐脈となり、また午前一〇時一〇分には八―九―七、同一〇時二〇分には八―八―七と悪化して微弱となったことは前記認定のとおりであり、さらに、新生児(原告春子)は二センチメートル幅位の干かんぴょうのような臍帯が頸部に堅く三重に巻絡した状態で出生したものと認めることができる。そこで、右事実に《証拠省略》を総合すれば、胎児の児心音が悪化して微弱になったのは、過強陣痛により繊毛間血流量が減少して発生したのか、臍帯の頸部巻絡により、児頭が下降するに従って臍帯の圧迫が強くなり、そのために胎児血酸素分圧が低下して発生したのか、いずれかの可能性が最も高いが、そのいずれであるかを判定することはできないものと認めざるを得ず、仮にそれがアトニンOの過剰投与による過強陣痛の結果であったとしても、当時の医師として、被告がアトニンO二・五単位を皮下注射したことには何ら落度が認められないのであるから、たまたま悪い結果が発生したことは不幸なことであり、原告らにとっては気の毒なことではあるが、だからといって、被告に過失があるとすることができない。

また、その後、被告が同原告及び胎児の観察を怠ったと認めるに足りる証拠はなく、アトニンO投与後の経過観察の点についても、被告の過失を認めることはできない。

(七)  そして、さらに、前記のとおり、被告は昭和五〇年三月二五日午前一〇時三〇分に、アトニンO五単位を、原告花子に対し静脈注射しているのであるが、それは同原告の娩出力が減る一方で、児心音の悪化が継続するので、既に骨盤出口にさしかかって排臨、発露の状態にある胎児を救うためには一刻の猶予もおかずに急速遂娩を行って、胎児を母体外に出す必要があると判断して行ったことであり、《証拠省略》によれば、被告はアトニンO五単位を看護婦に静脈注射させると同時に、吸引分娩術及び鉗子分娩術を試みていることが認められるのであり、また、前記のとおり、同日午前一〇時三八分に、一気に胎児(原告春子)を娩出しているのである。

そして、《証拠省略》によれば、右の場合のように、胎児を次の陣痛発来の時などに一気に娩出させようとして、アトニンO五単位程度を静脈注射することは、昭和五〇年三月当時の一般開業医においては珍しいことではなく、従って、当時としては、アトニンO五単位の投与が多すぎるとはいいきれないことが認められる。

従って、ここでの投与量も当時としては不適切なものとはいいきれず、かつ、右投与時の母体及び胎児の状況からみて、被告がアトニンOを再度投与することにより急速遂娩を図ったこともやむを得ない措置と認められるから、この点でも被告に医師としての注意力を欠いた過失が存在したとすることはできない。

(八)  そして、その他に、アトニンOを投与するに際し、医師としての被告に過失を認めるべき何らの証拠も存在しない。

4(一)  第三に被告の産後における措置の点につき判断するに、請求の原因5の(四)(産後において医師の払うべき注意と被告の過失)の(1)の「産科医は、分娩後の母子の容態を継続的に観察し、産後における母子の異常・異変を未然に防止し、異常・異変があれば適切な医療措置を講ずることによって、母子の生命・身体を保護すべき義務がある。」

との事実は当事者間に争いがない。

(二)  ところで、前記のとおり、原告春子は、重度の仮死の状態で生まれて蘇生した後、約二時間後の昭和五〇年三月二五日午後一時ころ、初回の痙れん発作を起こしたのであり、証人岡井崇の証言によれば、「このような場合には、中枢神経に何らかの障害等があるのではないかという疑いが持たれるので、その検査及び治療を行うにつき十分な施設を持っていなかった被告としては、直ちにその施設の整った他の専門医等に転医させるのが最も好ましかったといえ、前記のとおり、その二日後の同月二七日になって同原告を小児科専門医である都立母子保健院に転医させた被告の措置は、必ずしも適切であったとはいえなかった」と証言している事実を認めることができる。

(三)  しかし、《証拠省略》によれば、原告春子の脳性麻痺は、血中の酸素分圧が低下していたと考えられる分娩中か、出生後蘇生術を施行していた約二〇分間に脳細胞の障害が生じたために起こった可能性が最も高く、仮に早期に転医を行っていたとしても、脳性麻痺を回避することやその症状を軽減することはほとんど不可能であったと認められるのであるから、医師のとるべき措置とその効果との関係を考察した場合、前記のとおり同原告が痙れんを起こした後、被告がその原因を究明すべく約二日間に亘って同原告を経過観察してその推移を見守るという措置をとったことは、確かに最善の措置ではなかったとはいえても、あながち不当とまではいいきれず、このことから直ちに、被告には医師としての患者を保護すべき義務に違反した過失があったと認めることはできない。

(四)  そして、その他に、産後の措置において被告に過失を認めるに足りる証拠は何ら存在しない。

5  以上によれば、何ら被告には、本件事案につき、医師として過失が存在したと認めることはできず、その他被告の過失を認めるに足りる証拠は存在しないのであるから、その余の部分につき判断するまでもなく、原告らの請求は理由がない。

四  結論

そうすると、本訴請求は、いずれも理由がないことに帰するからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小野寺規夫 裁判官 寺尾洋 山田敏彦)

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